ninjinkun's diary

ninjinkunの日記

そのニッチなコンピューターが僕の仕事になるまで

中学生の時に溜めたお年玉でPowerBook 1400を買った。父のMacを借りて使っているのが段々息苦しくなってきて、アレなファイルも保管したいし、自分のメールボックスも持ちたいしという感じで、自分専用の部屋を持つようなつもりで買った。そのMacはG3カードを刺して高校生になるまで使った。
父が買っていたMacPowerという雑誌のお陰で、僕の頭はMacのことでいっぱいだった。隅々まで読んで、フリーウェアを片っ端から試してということを朝から晩までやっていた。不安定だったMacOSを再インストールするのは日常茶飯事だった。

世間ではWindowsが主流になっていて、僕もどうやら社会に出たらそれを使って仕事をしなくてはいけないらしい…。そうは言ってもMacPower誌に踊るMacの神話が完全にインストールされていたので、たとえシェアがなくても、多少不安定でも、使っているだけで何かにコミットしている気分になっていた。

僕がPowerBookを買って程なくして、スティーブ・ジョブズAppleに復帰した。いつか買ってやろうと思っていたNewtonが殺されて、僕はジョブズを憎んだ。PowerPC G3を搭載した低価格なiMacが出て、その人気がじわじわと上がっていると聞いた時、なんだか居心地が悪かった。ニッチな製品を楽しんでいる同好会的な雰囲気が崩れていくような気分になったのだ。

iPodは完全に看過していたし、Mac OS Xの最初のバージョンも微妙な出来だった。今から思うと色々仕方ないことは判るのだが、一ユーザーとしては裏切られた気分だった。ジョブズAppleとその製品に大手術をしているのはなんとなく理解していたが、彼が正しいことをしているのかその時点ではわからなかった。*1

もちろんその後、Appleはデジタルライフスタイルカンパニー*2として不死鳥のような復活を果たし、Macの販売台数も大きく伸びた。プログラマーとして就職を考えた時、Macを使える職場は驚くほど多くなっていた。

今僕はMacを使ってiPhoneアプリを作る仕事をしている。中学生の時には全く考えられなかった話だ。自分がプログラマーになるとも思っていなかったし、Appleが残って、ましてやAppleの製品と関わりながら自分が食べていくことができるなんて本当に想像できなかった。たぶん僕は喜ぶべきなのだろう。自分が好きなものを使っていたら、いつの間にか面白いことを仕事にできるようになっていたのだから。

今年仕事でWWDCに行くことができて、始めてジョブズを見た。多分今年が最後になるだろうと誰もが言っていて、実際にそうなってしまった。真ん中くらいの席から見たジョブズは、痩せていてあまり顔色がいいとは言えなかったが、iCloudの機能を淡々と語る姿には、かつて画面の向こうから見ていた彼と同じ説得力があった。そしてその場にいるだけで何かにコミットしている気分になった。でも昔とは少し違っている――僕はもうプロのプログラマーで実際にコミットしているし、ここに来たのは会社のお金で僕にとってこれは仕事なのだ。

僕が影響を受けた神話は、どちらかと言うと手を動かしてプログラムを書いていた人たち、スティーブ・ウォズニアックビル・アトキンソンといった面々で、今でもそれは変わらない。それでも一人のニッチなコンピューターの愛好家が大人になって、そのまま好きなコンピューターを使って仕事ができるようになったのは端的に言って非常にありがたい。そしてそれはジョブズの大手術とその先の壮大なビジョンがなければ達成されなかった。そのことに大きく感謝する。

今はただ悲しい。一度は目の前にいた人が死んだというだけでも悲しいのに、今目の前にある製品を作った人だと思うとなおさら悲しい。

*1:これも今となっては信じがたいけど、当時はユーザーが株を買ってAppleを支えようという活動まであった

*2:陳腐な表現だが現状を端的に言うとこうなると思う